こんにちは、いち子です。
学校に遅刻したり早退したり保健室登校だったり…。
今思い返しても、まだ完全に不登校になる前のこの時期が本当に一番母娘ともしんどい時期でした。
この頃から頻繁に体調不良を訴えたり、夜眠るのがどんどん遅くなり朝全く起きることができなくなったり、食欲が無くなったり、表情に覇気が無くなったりしてきました。
この時に「しっかり休ませる」という決断をしていたら、結果は少し違ったんじゃないかと思う事も今でもあります。まだ娘にも「頑張って行きたい」気持ちが見えて、私も娘を【不登校】にするわけにいかないという思いに加えフルタイム勤務での仕事を休むわけいかないという状況で、何とかしてどうにかして午後から登校や、部分登校をさせていました。
毎日のように時間休を使い毎朝毎朝学校と職場に連絡を入れながら、半泣きでなかなか動けない娘に「どうする?どうする?」と確認して支度させ、車で保健室前まで連れて行き養護の先生に引き渡していました。いざ登校できたとしても数時間で迎えに来るようにと学校から連絡があり、上司や同僚に謝りながらひたすら年休を時間休で消化していく日々でした。
「学校に行かせなきゃ」と子供を追いつめ、
「仕事に行かなきゃ」と自分自身を追いつめ。
そんな毎日が続き、心身共に本当に疲れしんどい日々で車で泣く事も多かったです。
こんな生活で娘が元気になれる訳がありません。
程なくして娘の心のエネルギーが枯渇し、完全に【不登校】になりました。
私もとうとう年休の残がなくなり、退職も考えましたが上司の提案で来られる時だけ出た分だけの時給制に変えてもらう事になりました。
娘は小学校時代までいわゆる優等生で、成績は良く自他共に認める学校の中心人物でした。
幼少期から他の子に比べ成長スピードが早く、好奇心も旺盛で、何事もやる気の塊のような活発な子でしたから、エネルギーを失って鬱々としている娘を見るのが辛くて辛くてたまりませんでした。
娘は不登校になったのは勉強に対する劣等感や自信喪失、加えて学校での人間関係が原因だと言っていますが、親である私にも原因や責任は大いにあったはずです。「うちの子は優等生」というスタンスで娘を見て接していましたから。そんな私に追い詰められた部分もあったのでしょう。
眠れない、起きれない、食べられない、動けない。
こんな状態になる前に、もっと早く「休ませる」という決断をしてあげていたら…と3年経った今でも本当に後悔しています。中学1年生の子が親に対して、行くのが当たり前で毎日行かなければならない学校に「行かない」というのは難しいはずです。「少し休もうか」と行き渋りの時に声をかけてあげる余裕が私にあったら、娘をあそこまで追い詰めなくて済んだのかな。
学校に行けなくなって一番不安なのは子供本人なので、
子供より先に親が、自分の子供が【不登校】になる現実を受け入れられたら、子供にかかる罪悪感や自己否定感も軽くしてあげられるのかもしれませんね。
それが出来なかった当時の自分が情けない。
コメント